【現在に続く名車が続々登場!!】 平成元年とは日本のクルマ界にとってどんな年だったのか?

 あと3日ほどもすれば4月1日がやってくる。お昼過ぎには新しい元号が公表され、5月からは「新しい元号元年」がスタートする。「気持ち新たに」となってきた方も多いかもしれないが、前回の改元時、つまり平成元年、日本ではどのようなことが起き、そして日本のクルマ界にとってはどんな年だったのだろうか。

 1989年1月8日から始まった平成元年。改元が行われた年らしく、というべきなのか、「時代の変わり目」を感じさせる出来事が多かったようだ。

 芸能界では歌謡界を代表する歌手の美空ひばりが亡くなり、人気テレビ音楽番組の『ザ・ベストテン』が終了するなど、昭和の終わりを実感させるような出来事が続いた。海外ではベルリンの壁が崩壊し、冷戦時代の終焉を予感させた(そして「激動の時代」という言葉が使われ始めた)年でもあった。消費税がスタートしたのもこの年だ。

 一方で、空前のバブル景気真っ只中でもあり、日本車はニューモデルが続々と発売され、名車も数多く登場した。そこで、Laptrinhpic執筆陣の7人に、平成元年に起こったさまざまなテーマとともに、日本車やモータースポーツなどクルマ界の様子を思い返してもらった。

東京モーターショーの初開催もこの年だった

〈平成元年(1989年)の主な出来事〉

1月7日…昭和天皇崩御により新元号を『平成』に改元すると発表
2月4日…銀行、郵便局など金融機関の週休2日制スタート
2月13日…リクルート事件で創業者・元会長の江副浩正が逮捕
2月26日…東京ドーム公演を最後にオフコースが解散
4月1日…消費税法施行。消費税率は3%
4月1日…横浜アリーナが開業
4月1日…仙台市が日本で11番目の政令指定都市に
6月1日…NHKが衛星第1テレビと衛星第2テレビの本放送開始
6月4日…中華人民共和国の北京で天安門事件が起こる
6月24日…日本の歌謡界を代表する歌手の美空ひばりが死去
8月10日…第一次海部内閣発足。海部俊樹が第76代内閣総理大臣に
8月26日…礼宮(現・秋篠宮)文仁親王殿下が川嶋紀子さまとの婚約発表
9月27日…横浜ベイブリッジ開通
9月28日…TBSの人気音楽番組『ザ・ベストテン』が放送終了
10月9日…千葉市に大型展示・会議施設の幕張メッセが開場
10月24日…フジテレビの人気番組『オレたちひょうきん族』が放送終了
10月26日…東京モーターショーが幕張メッセで初開催
10月31日…三菱地所がアメリカのロックフェラーセンターを買収
11月10日…ベルリンの壁崩壊

※本稿は2019年2月のものです
文:鈴木直也、渡辺陽一郎、岡本幸一郎、片岡英明、遠藤徹、津川哲夫、高橋二朗Laptrinhpic編集部/写真:Laptrinhpic編集部
初出:『Laptrinhpic』 2019年3月26日号


■1989年(平成元年)に名車が一気に登場したのはなぜか?

(TEXT/鈴木直也)

 平成元年(1989年)は、R32GT-R、初代ロードスター、初代セルシオなど、錚々たる名車がデビュー。まさに“日本車のヴィンテージイヤー”として歴史に残る年だった。

 のちに名車と呼ばれるクルマが何故この時期に集中して登場したかといえば、開発が始まった頃の「時代の空気」がイケイケだったからにほかならない。

 新車の開発には通常4~6年を要するといわれているから、平成元年からさかのぼると1980年代半ば。そのころ日本のクルマ業界で何が起こっていたかというと、そう空前のハイソカーブームだ。

トヨタがベンツやBMWをターゲットにした新世代の高級車として発売したセルシオの登場も1989年

 1981年デビューの初代ソアラに端を発した高級車ブームは、その後クラウンやマーク2クラスに拡大。今では信じられないかもしれないが、マーク2三兄弟が月販合計4万台以上売れるほど大ブレーク。クルマ業界でもその後のバブル経済に向けた助走が始まっていたのだ。

 こういう空気のなかで新車を開発していたら、ライバルより豪華に、ライバルよりパワフルに、というイケイケ路線になるのは必然。それまで研究段階に留まっていた野心的な商品企画や新技術に次々ゴーサインが出され、1989年のクライマックスに向けた怒涛の新車開発が動き出すわけだ。

R32GT-R

 フリーターという言葉が生まれたのも1980年代半ばだが、この言葉の背景には「バイトで一生食っていける」という楽観的な気分があった。

 景気を左右するのは将来への展望といわれているけど、自動車メーカーも国民も明るい未来を信じて疑わなかったからこそ、歴史的な名車が誕生したのだと思いますねぇ。

〈1989年に登場した日本車たち〉

トヨタ ハイラックスサーフ(2代目)[5月]
トヨタ ハイエース(4代目)[8月]
トヨタ コロナエクシブ(新)[9月]
トヨタ カリーナED(2代目)[9月]
トヨタ セリカ(5代目)[9月]
トヨタ セルシオ(新規)[10月]
トヨタ MR2(2代目)[10月]
トヨタ スターレット(4代目)[12月]
日産 パオ(新)[1月]
日産 ローレル(6代目)[1月]
日産 180SX(新規)[5月]
日産 スカイライン(R32型)[5月]
日産 フェアレディZ(Z32型)[7月]
日産 スカイラインGT-R(R32型)[8月(発表は5月)]
日産 インフィニティQ45(新規)[11月]
ホンダ インテグラ(2代目)[4月]
ホンダ アスコット(新規)[9月]
ホンダ アコードインスパイア(新規)[10月]
ホンダ ビガー(新規)[10月]
マツダ ファミリア(7代目)[2月]
ユーノスロードスター(新規)[9月]
マツダ キャロル(新規)[11月]
ユーノス300(新規)[11月]
三菱 ミニカ(新規)[1月]
スバル レガシィ(新規)[2月]
いすゞ ミュー(新規)[4月]

■1989年登場車で今も続く8車が生き残った理由

(TEXT/渡辺陽一郎)

 日本の自動車業界が最も輝いた瞬間、それが1989年だった。国内販売台数が空前絶後の778万台に達するのは1990年で、その前年だから、盛り上がりは最高潮であった。

 4代目フェアレディZが最高出力280psを発揮して後の自主規制に繋がり、スカイラインGT-Rも復活した。ツインターボ、4WD、4WSなど、ハイテク化と高性能化が著しかった。

日産フェアレディZ(Z32型)

 その一方で「走りを純粋に楽しみたい」気持ちに答えて、ハイテクを一切使わない初代ユーノスロードスターも発売されている。初代セルシオは、V型8気筒エンジンからプラットフォームまで、すべてを新開発して世界で戦える高級セダンを目指した。

ユーノスロードスター

 これらの車種とこの時代を輝かせたのは、日本と海外の販売比率だ。今は大半のメーカーが世界生産台数の80%以上を海外で売るが、1989年頃は50%ずつだった。

 日本の使い方や好みに合わせながら、海外にも対応して走行安定性、乗り心地、内装の質などを高めていく。この絶妙なバランスが優れた商品開発に繋がり、好景気の後押しもあって夢の時代が訪れた。この50%比率をもっと長く保てたら、夢の時代も長続きしていた。

スバル初代レガシィツーリングワゴン

 輝いた時代を走り抜けたクルマには勢いがあるから、ロードスター、セルシオ、レガシィなどは、その後も好調に売れて各社の主力車種に成長している。

 なお、当時の自分は自動車誌の編集者で忙しかったけど充実していたのを思い出す。

〈現在も頑張って続いている1989年登場車〉

●トヨタ ハイラックスサーフ(→ハイラックス)
●トヨタ ハイエース
●トヨタ セルシオ(→レクサスLS)
●日産 スカイライン
●日産 スカイラインGT-R(→GT-R)
●日産 フェアレディZ
●ユーノスロードスター(→マツダロードスター)
●スバル レガシィ

■シルビアの姉妹車、180SXが大人気!その理由は?

(TEXT/岡本幸一郎)

 S13シルビアが売れまくっていたなか、海外向けだったリトラ&ファストバック版の180SXも日本で販売されることになったのが5月。

 コッチのほうが断然カッコイイ! と当時は学生だった筆者も買えないながらも色めきたった。実はあまりに気に入ったので、その後社会人になってすぐ無謀なローンを組んで買っちゃったけどね。

人気を集めたS13型シルビアのリトラクタブルヘッドライト&ハッチバッククーペスタイル版としてラインナップされた180SX

 本来はシルビアともどもオシャレなデートカーがコンセプトのはずだけど、手頃なサイズでパワフルなFR車となれば世のドリフト愛好家が放っておくワケがない。さらには3ナンバーになりデザインも不評だったS14シルビアの販売が低迷。180SXの価値があらためて見直された。

 その後は見た目の改良や低価格版の追加によりシルビアがS15になるまで延命が図られたものの、クーペが売れない時代になり180SXは1代で消滅したが、S15のリアウインドウの角度には180SXの面影が……。

■901活動を進める日産車の走りに驚いた!

(TEXT/片岡英明)

 排ガス対策が一段落し、高性能化に拍車がかかった1980年代の半ば、日産は高性能を使いきれるシャシーとサスペンションの開発に力を入れるようになる。エンジニアの間で暗黙の了解となったのが「901活動」だ。これは「1990年までにハンドリングやシャシー性能を世界一にする」という社内の啓蒙活動だ。

 901連絡会を作り、意思の疎通を一本化した。この設計哲学から1989年に生まれたのが、洗練されたハンドリングのR32スカイラインとZ32フェアレディZ、そしてインフィニティQ45である。1990年にはFFセダンの革命児、プリメーラを送り出した。

走行性能を重視し、走りの復活を目指してGT-Rも投入された8代目スカイラインをはじめ、当時の日産車の走りは評価が高かった

 スカイラインとフェアレディZはヨーロッパの名門メーカーを驚愕させたし、プリメーラはライバルがベンチマークとして徹底的に分析を行っている。

 平成の最初の年、日産は今につながる新しいハンドリングの扉を開いたのだ。すでにフリーで仕事をしていたが、R32系スカイラインの走りには度肝を抜かれた。

『Laptrinhpic』1989年6月26日号より

■消費税3%導入で自動車販売は何が起こっていた?

(TEXT/遠藤 徹)

 30年前の1989年は自分にとって最も豊かな年であり、最も充実していた時期だったことを思い出す。国内の新車販売は1989年が725万6490台、翌1990年は777万6838台で過去最高を記録した。バブル経済の絶頂期だった。

 物品税が廃止となり消費税が導入されたわけだが、これによって自動車は10%以上が値下げされ、好景気と相まって新車販売はピークに達したわけである。

 新車市場は拡大の一途で登場するニューモデルは何でも売れゆき好調で新記録続出だったことを思い出す。

トヨタ MR2

 ハイソカーがブームになりマーク2、ローレルなどが月販1万台、SUVもCR-Vやパジェロが9,000台から1万台も売れた。マツダと三菱自動車が5系列店、ホンダが3系列店と複数チャンネル制を敷いて増販攻勢をかけたりした。

 自分自身の仕事も次々に依頼が舞い込み、カー雑誌、週刊誌、単行本の締め切りに追われる毎日だった。

■モータースポーツも熱かった!ブームに沸いた1989年のF1を振り返ると?

(TEXT/津川哲夫)

 平成元年、自分にとっては1989年といったほうが納得しやすい。1987年に鈴鹿にF1が登場して3年目。

 F1界はセナ人気が頂点に達し、F1にセナ以外を見ている人は極めて少ないという異常事態になっていた。特に日本ではマクラーレンホンダの快進撃でF1人気が沸騰していて、なかでもセナは英雄・アイドル扱いされ、人々はセナを担いで、バブルに踊った時代だった。

 平成元年は最強マクラーレンホンダのチームメイトであるセナとプロストが激しい鍔迫り合いを演じた。最終的に鈴鹿のシケインで起こったセナとプロストのクラッシュ問題で実に不愉快な形でシーズンを終え、プロストがチャンピオンになった年だ。

セナとプロストによるチャンピオン決定の舞台となった鈴鹿は、2人が接触して終わる結果に

 その鈴鹿のレースで結果的に我がチームのベネトンに乗るナニーニが非力なフォードエンジンで優勝したものの、セナ・プロスト事件で陰が薄れ、優勝したにもかかわらず、表彰台ではまばらな拍手だけで、日本からの評価もなく、レース後に誰もがセナ・プロストを語るばかり。実に悔しい思いをした平成元年の鈴鹿F1であった。

 平成バブルの日本中がセナというスーパースターに酔いしれ、F1だけでなく、自動車も社会も実体のない興奮に浮かれ続けた、そんな年であった。しかしこのおかげで日本でのF1が始まり今も続いているのも確かなのだけど。

■国内レースではバブル景気の影響が現れはじめた

(TEXT/高橋二朗)

 世の中は、バブル景気にまっしぐら。しかし、モータースポーツ界には少し時差があって資金が流れ込み始めていた。

 たばこメーカーやオイルメーカー、用品メーカーから、アパレルメーカーまで多種な企業がスポンサーとなって参入し始めた。チームに投下される資金も千万円単位から一気に億単位へ膨れ上がった。まさにバブリーな時代へと突入し始めたのが1989年だったといえる。

 国内フォーミュラトップカテゴリーのF3000は、まだエントリー台数は20台を少し超えただけだったが、その後30台を超える状況となってゆく。潤沢な資金によりひとりのドライバーに複数シャシーを用意して戦うという状況があった。

 当時はワンメイクシャシーではなかったので英国製と国産の計4メーカーがマシンを投入、タイヤメーカーも3社が鎬を削った。

 中嶋 悟、鈴木 亜久里がF1へ旅たち、星野一義を中心にシリーズは展開されると思いきや、外国人ドライバー達と初のフル参戦を果たした小河 等が最終戦まで僅差でチャンピオンを争った結果、初の栄冠に輝いた年だった。

*   *   *

■自動車界の“特別”な年

 スカイラインGT-Rやセルシオといった名車が一気に登場し、日本車の技術が世界と肩を並べたといえる年だったが、その最大の要因はやはり平成バブル。

 この爆発的な好景気が当時のモータースポーツにも大きな影響を与え、日本の自動車界にとって、とても特別な年となったのが平成元年だったといえそうだ。

 5月からの「新元号元年」も、クルマ界、ひいては日本にとって特別な年、そして何よりよい年であると願いたい。

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